「こんな人はダサい!」
昔から「わたし英語が得意じゃないんで、と言って喋らない人」がいて「日本語がしっかり喋れて仕事がバリバリできればいい」「必要なときには通訳いれるから」と言うような風潮があった。今でもある様な気がする。
正直に違和感があった。そこで、最終的に周りからどう思われようと、わたしは「喋る」ようにしている。
実は、「その英語が得意じゃないんで」にはいろんな意味があると確信している。
1つ目は、社交辞令としての使う場合がある。相手に少し優越感を与えておいて、肝心な時、例えば外国人から道を尋ねられたりするような絶好の場面に遭遇したりすると、喋りだす。完全に狙ってるもの。
2つ目は、本当に自信がないが、それを本気を言ってしまうと自分のプライドが傷つく、という感覚を持った人だ。この感覚は特に守りの姿勢に入っている人に多いような気がする。この手の人は、外国人遭遇しても、自分から喋ることはまずない。にもかかわらず「今の英語訳はこういう意味だよね」とコメントや指摘をしたりする。自分がその場にいて主役になれない腹いせなのかもしれない。実際、地位も名誉も手に入れたが語学だけは苦手という方々が、短期間(勿論1年以上)に英語を習得されたという例は多々あるにも関わらず、どちらにせよ、わたしはお付き合いしたくない。
この感覚は若い世代にもある。勉強は鬼のようにやってきて知識はふんだんにある。しかし英語特に喋りが苦手な人にとって、これはプライドが許さないのだろう。センター試験も入学試験も難関校問題で高得点をとった。でも話せない。
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わたしは、上記の2つ目の点に関して、共通するポイントがあると思っている。それは「知識を習得すること」と「問題を解決すること」の違いだ。
学生も社会人も、知識の習得にはどん欲だ。そのため長時間学習したり就業したりする。しかし、それは単なる知識の詰め込みで、問題が発生した時には、どの知識をどのように当てはめるかが、すぐに出来ない。調査と確認作業に追われるというもの。これが単に「知識を習得する」ということだ。
もう一つは「問題を解決する」ということ。英語が苦手も問題。話すのが苦手も問題。この問題をどう解決するか、がポイントとなる。単に文法本や熟語本を買って読んでも、あなたの問題は解決しない場合もある。問題はどこにあって、どのように解決策を作るか、が出来なければいつまでたっても上達しない。これ会社での仕事も、いわずもがなである。
忙しくても時間を管理する。自分の時間の問題も解決する、と言う発想を持たないといつまでたっても上達することはない。
またいつまでたっても問題を解決できない社員に、いつまで給料を払ってくれるのだろうか、と自問自答したほうがいいかもしれない。
そんなわたしも忙しさにかまけることがあるので、極力注意している。
スズヒロ
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写真のクレジット:mayonez